BAUSHの死にざまブログ

身近な死について思い当たったときに発動します。

ジョージ秋山の死

ジョージ秋山があの世に。 死生観については、近づいたり、踏み込んだり、巻き込まれたり、笑い飛ばしたり、と、浮浪雲の人影さながらの人だった。そういえば、浮浪雲も自身について悩み悪夢する回もあったな。そういうキャラ設定のゆらぎも好きだった。 エ…

死は自ら選びたい。

人間らしい「死」はまあ、「自殺」だ。「尊厳死」もオッケー☆⌒d(´∀`)ノ。気が付いたら死んじゃった、てのが最悪で、事故死、偶然死、詰め腹、他殺の被害者としての死亡、戦死、とか他から強制される全ての死は虐殺と変わらないのよ。「コロナ死」も他殺だよ! こ…

身近な死

「死」が近づいきている。いっちょ死んでみない? 長年、「死」は神の救いと思っていた。こんなに親しげに、特殊詐欺のように、仲よきことは良きことなり的な、ゆるい三密礼賛で近寄ってくるとは、思いも寄らなかったネ。ただ、症状は劇症らしいから、ぬるく…

自殺率

グロスでの自殺率が時々何らかの指標に使われるが、自由に死を選ぶ権利は抑圧すべからざる基本的人権のように思えて仕方がない。

『百合に死す』

人がね、自ら命を絶つというのは、とっても人間的で、根源的なものなんだ。だから、よくよく考えて考え尽して、深く深く悩み尽して、本当に自分を殺すべきなのかを研究しなきゃならない。自殺も勿論殺人なのだから、自分を殺すのが正当なのかをきちんと吟味…

死んでる場合か!

結果的に、一生奴隷労働に身を費やし、突然死したりする。可哀想などと思ふのは、斜め上から目線で、本人は意外と幸せだつたりする。霊学的には自殺は御法度だが、何の為に最後の最後まで奴隷であり続けなければならないのかについては、全然理解できない。…

昔は元気に死んでたなあ

Liveで死にゆく身であり乍ら、サドンデスに備へ身綺麗にとも思ふ。緩慢に死なうとするおのれを恥じよ! 久々のエントリ。生きてゐました。十年前のおいら、考えることとか今とかはらないが、元気だねー。 ところで、自爆テロの実行者の心持には中々周波数が…

死ぬ時には

死ぬ時には心に決めた相手と。乞ふる相手でなく、逆に憎む人間とでも、あるいは公益に反すると自らが目する人間とでもいいではないか。殘された縁者の気持ちを考へれば、自死に追ひ遣つたと揶揄されるよりも、自棄に成りながらも公益を尊重した死に樣だつた…

連れ立つて

毎日平均日本だけで百人死んでゐると聞くと、要するにデフォで集団自殺だ。 おてて繋いで幼稚園じゃあるまいし。 かと言つて野村秋介の自死が格段に孤高な訳でもない。殺の本質がテロなら自死はAIDSだ。さかまつげだ。テロは肉體を使つた政治だろ?一寸混亂…

天啓があつた。

政治家に人権はない。殺されても文句は云へない。それだけの覺悟はあつて當然だらう。市井の人が命を賭けてゐるのだから。政治家を終へた時に全ての財産を放棄すると云ふ法令も必要だ。 政治を世襲したら広域暴力団金一家と變はらない。成功した親には必ず失…

頭でつかちなだけのガキだな、こいつは。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/hujimura.html 後で書き足すかもね。

その生は彗星に譬へられる。西洋の皮相的な物質主義が日本に流れ込むのを見て、「革命にあらず、移動なり」(『漫罵』)とはき捨てるように云つたのが1893年。明治維新以降20数年にして現在と變はらぬ下らぬ情況*1だつたのだ。ミシマは變形後追ひだな。ドラマティック(戀愛)でドラスティック(死戀)でこその人生。戀に戀して敗れたが、死への戀は成就した。享年25歳。明治の25歳は決して若くはないさ。この文章「變」は二つで「戀」は五つだ。

世の中を食へるものと食へないものに分ける。

その後、旨いものと旨くないものに分ける。 まだ己は殘つてゐるか。己は旨いか不味いか。 健康だと旨いのか、なら微妙だな。 人類學者と數學者はどつちが旨い? 腦味噌がよく使はれてゐるので、數學者(の腦味噌)の勝ち(?)。 グルメは雜食で不味さうだな。 …

この人のもダンナさんのも苦手な部類のマンガで、もうこの人の新作を目にする可能性がないといふのは、ある意味で安堵である。と思つたらねこぢるyなどといふ名でいまだ増殖してゐる。世の中儘ならないものである。身を切る樣な痛み、心臓への痛み、免疫力低下、かうしたものと引き替へにしてまで読まねばならぬものか?まあ、あのやうな表現者が命根性薄汚くゲヘゲヘと力強く生きられても困りモンだ。死んでよかつた、などと云ふのではない。ただ、ねこぢるの死には嘘は無い。

Hideの後追いなどと取りざたされたがそれこそ名誉毀損、彼方(あっち)は事故死だらう。

ポール牧が飛び降りたらしいが・・・

小林まこと『1・2の三四郎』の最初の方で、ヒロインの志乃のアイドルが「マッカートニーならぬポール牧」というギャグがあった。その程度に笑って貰ッて充分な素材であった。 坊さんのクセに修行途中で投げ出してはいけない。もう、笑えない。逆位置の「ポ…

この時期にいつも

・・・・・・最初に考へたのは、「エイプリル・フールだろ?」だ。さうして衝撃を和らげながら、 あわよくば嘘であつてくれと思つた。願つた。ところが、ソースはどれもその凶報が事実であると告げてゐた。 この季節になるとどうしやうもなく泣けてくる。花…

「死」は祭

(もうそろそろ時効、というわけでもないが)アジアの津波の大量死でもイラクの大量虐殺でもいいが、人にとっては地獄であっても、微生物や蠅などにとっては、さぞや饗宴、そのまんま謝肉祭、腐肉パラディスであっただろう。地獄/天国の二分法は所詮自分たち…

生きざま

生きざまとは畢竟死にざまのことであろう。「死ぬ時には微笑むのが良し」と云へば、まるでマンガ『覚悟のススメ』であるが、さして遠いことでもない。 「煉炭」にあくがれる人たちよ。あなたたちは、死に際に微笑めるか(なんちう日本語か!)。That is a Ques…

2004/12/7の日記(笑)の文面を微妙に修正。

「死にざま」BAUSHの定義としては、「意識的に撰び取つた、死に際(ぎわ)の工夫」程度の意。 よつて、香田証生君などの死は「殺されやう」であつても、斷じて「死にざま」とは言へない。 勿論、災害による大量死も、BAUSHの云ふ「死にざま」とは關係ない。 し…

原口統三

自殺などハタチ前に濟ましておけ、ってか。 麻醉なしの拔齒、轄禮(かつれい)は、どうだ。いやだ。 成人したら、生きろ、生きろ、生きろ、生きろだ。 生きてたら、もつと迷惑かけるかもしれないよ、凶惡犯罪とかしちゃったりなんかして。 死ぬ以上は無茶苦茶…

練炭ネット心中などにニュースバリューがあるのか。無視・放置のセンでいいやうな氣がする。

自殺マニュアル的には、最高にヘタレなところがいいと思ふ。思ひ切つて飛ばれたり、飛び込まれたりした日にゃ、危なくてしようがない。

 幼少期の虐待の記憶から逃れられず、自傷行為を繰り返していたらしい。また一つきれいごとが消えた。

小学生の時はじめて読んだのはエッセイ集。題名忘れ、検索するが『いわせてもらえば』だったかどうかすら記憶が曖昧だ。なんだ、こんな力を抜いたシロウトのような本でも出してもらえるんだ、という驚き。 投稿欄だったかの『いわせてもらお』はこのタイトル…

某日、死に場所を探していると、乃木神社に着いた。資料館には、自害に使われた刀が二挺、誇らしげに光っていた。その日の朝のいつもと変わらぬ記念写真。肉を抉り血糊に曇ったはずの刃は、役目を終えた人生のように、そ知らぬ顔で、室内の光を映しつづけていくのだ。男は武人としての死に場所を求めつづけ、やっと最愛の天皇の崩御という絶好の機会を得たわけだが、ともに果てた静子夫人の死は、やはり、痛ましいとしか言いようがない。

原民喜は死に場所を探してゐた

原來≪もともと≫が自閉の鬱で、世間と折り合ひのつかぬ者が格好の死に場所を見出したのだと思つてゐたのだが、それを論じた文献≪ソース≫が見つからない。世間には美談しかない。所詮彼は自殺嗜好者*1であつたといふことを何処かで読んだ樣な氣がするンだが、…