BAUSHの死にざまブログ

身近な死について思い当たったときに発動します。

死ぬ時には

死ぬ時には心に決めた相手と。乞ふる相手でなく、逆に憎む人間とでも、あるいは公益に反すると自らが目する人間とでもいいではないか。殘された縁者の気持ちを考へれば、自死に追ひ遣つたと揶揄されるよりも、自棄に成りながらも公益を尊重した死に樣だつたと敬遠される方が何層かましであらう。要人のテロなど企て實行したとて左程世の中は變はらないかも知れない。しかし魂を受け繼ぐものは必ずゐるものだ。生粋の殺害マニアであるミシマでさへフォロアには事缺かない。所詮無駄死にだけは避けたいものだ。