BAUSHの死にざまブログ

身近な死について思い当たったときに発動します。

自殺

頭でつかちなだけのガキだな、こいつは。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/hujimura.html 後で書き足すかもね。

その生は彗星に譬へられる。西洋の皮相的な物質主義が日本に流れ込むのを見て、「革命にあらず、移動なり」(『漫罵』)とはき捨てるように云つたのが1893年。明治維新以降20数年にして現在と變はらぬ下らぬ情況*1だつたのだ。ミシマは變形後追ひだな。ドラマティック(戀愛)でドラスティック(死戀)でこその人生。戀に戀して敗れたが、死への戀は成就した。享年25歳。明治の25歳は決して若くはないさ。この文章「變」は二つで「戀」は五つだ。

この人のもダンナさんのも苦手な部類のマンガで、もうこの人の新作を目にする可能性がないといふのは、ある意味で安堵である。と思つたらねこぢるyなどといふ名でいまだ増殖してゐる。世の中儘ならないものである。身を切る樣な痛み、心臓への痛み、免疫力低下、かうしたものと引き替へにしてまで読まねばならぬものか?まあ、あのやうな表現者が命根性薄汚くゲヘゲヘと力強く生きられても困りモンだ。死んでよかつた、などと云ふのではない。ただ、ねこぢるの死には嘘は無い。

Hideの後追いなどと取りざたされたがそれこそ名誉毀損、彼方(あっち)は事故死だらう。

ポール牧が飛び降りたらしいが・・・

小林まこと『1・2の三四郎』の最初の方で、ヒロインの志乃のアイドルが「マッカートニーならぬポール牧」というギャグがあった。その程度に笑って貰ッて充分な素材であった。 坊さんのクセに修行途中で投げ出してはいけない。もう、笑えない。逆位置の「ポ…

この時期にいつも

・・・・・・最初に考へたのは、「エイプリル・フールだろ?」だ。さうして衝撃を和らげながら、 あわよくば嘘であつてくれと思つた。願つた。ところが、ソースはどれもその凶報が事実であると告げてゐた。 この季節になるとどうしやうもなく泣けてくる。花…

原口統三

自殺などハタチ前に濟ましておけ、ってか。 麻醉なしの拔齒、轄禮(かつれい)は、どうだ。いやだ。 成人したら、生きろ、生きろ、生きろ、生きろだ。 生きてたら、もつと迷惑かけるかもしれないよ、凶惡犯罪とかしちゃったりなんかして。 死ぬ以上は無茶苦茶…

練炭ネット心中などにニュースバリューがあるのか。無視・放置のセンでいいやうな氣がする。

自殺マニュアル的には、最高にヘタレなところがいいと思ふ。思ひ切つて飛ばれたり、飛び込まれたりした日にゃ、危なくてしようがない。

 幼少期の虐待の記憶から逃れられず、自傷行為を繰り返していたらしい。また一つきれいごとが消えた。

小学生の時はじめて読んだのはエッセイ集。題名忘れ、検索するが『いわせてもらえば』だったかどうかすら記憶が曖昧だ。なんだ、こんな力を抜いたシロウトのような本でも出してもらえるんだ、という驚き。 投稿欄だったかの『いわせてもらお』はこのタイトル…

某日、死に場所を探していると、乃木神社に着いた。資料館には、自害に使われた刀が二挺、誇らしげに光っていた。その日の朝のいつもと変わらぬ記念写真。肉を抉り血糊に曇ったはずの刃は、役目を終えた人生のように、そ知らぬ顔で、室内の光を映しつづけていくのだ。男は武人としての死に場所を求めつづけ、やっと最愛の天皇の崩御という絶好の機会を得たわけだが、ともに果てた静子夫人の死は、やはり、痛ましいとしか言いようがない。

原民喜は死に場所を探してゐた

原來≪もともと≫が自閉の鬱で、世間と折り合ひのつかぬ者が格好の死に場所を見出したのだと思つてゐたのだが、それを論じた文献≪ソース≫が見つからない。世間には美談しかない。所詮彼は自殺嗜好者*1であつたといふことを何処かで読んだ樣な氣がするンだが、…