ジョージ秋山の死
ジョージ秋山があの世に。
死生観については、近づいたり、踏み込んだり、巻き込まれたり、笑い飛ばしたり、と、浮浪雲の人影さながらの人だった。そういえば、浮浪雲も自身について悩み悪夢する回もあったな。そういうキャラ設定のゆらぎも好きだった。
エロくて流麗な線を驚くべき速さで描いてしまう達人だった。
毒薬や銭ゲバなど悪人を悪人のまま容赦なく、しかも、愛をもって造形する人だった。
俺の人生に幼少の頃から今まで寄り添ってくれた。学ばせてもらった。育ての親の一人。ありがとう。
近年『浮浪雲』の線が微妙にブレブレになり「ああ、そろそろかな」とは思っていた。
「この人の代わりなどない」と、自信を持って言える、数少ない人のひとり。
「よたろう」などに出てくるビックリハウス的な間取りのに住むのが夢だった。
身近な死
「死」が近づいきている。いっちょ死んでみない? 長年、「死」は神の救いと思っていた。こんなに親しげに、特殊詐欺のように、仲よきことは良きことなり的な、ゆるい三密礼賛で近寄ってくるとは、思いも寄らなかったネ。ただ、症状は劇症らしいから、ぬるく死にたい向きには、おススメできないね。コロナには罹らないに越したことはない。
『百合に死す』
人がね、自ら命を絶つというのは、とっても人間的で、根源的なものなんだ。だから、よくよく考えて考え尽して、深く深く悩み尽して、本当に自分を殺すべきなのかを研究しなきゃならない。自殺も勿論殺人なのだから、自分を殺すのが正当なのかをきちんと吟味しなくちゃね。……結論から言うと、キミが殺そうとする「自分」は決して悪くない。本当の敵はとても遠くにいるので君の眼には不視ていない、そいつの首根っこを摑まえて「コノヤロー」と文句でも言えれば御の字なんだがね。
昨日か一昨日、小田急線百合ヶ丘駅で人身事故があった。誰かは分からないが、多分何度か見た顔が一つ消えたのだろう。人一人の死などそんなものだ。
公共機関で死ぬのは迷惑だの何だの、心無いツイート等が飛び交うが、死んだ人は、お前の親で家族で子供で友達で恋人だ。このことだけは命を懸けてでも言いたい。
死んでる場合か!
結果的に、一生奴隷労働に身を費やし、突然死したりする。可哀想などと思ふのは、斜め上から目線で、本人は意外と幸せだつたりする。霊学的には自殺は御法度だが、何の為に最後の最後まで奴隷であり続けなければならないのかについては、全然理解できない。死ぬより酷いことなどこの世にはいくらでもある。きちんと聲に出すのが、大事。
昔は元気に死んでたなあ
Liveで死にゆく身であり乍ら、サドンデスに備へ身綺麗にとも思ふ。緩慢に死なうとするおのれを恥じよ!
久々のエントリ。生きてゐました。十年前のおいら、考えることとか今とかはらないが、元気だねー。
ところで、自爆テロの実行者の心持には中々周波数が合はないが、とりま、無差別は止めろ。ターゲットを限定して、余計な人間を殺すな、とは言ひたくなる。でも、ほんとに、そっから説明しなければ、いけないのか?まったく、人間には「話し合い」すら高級すぎるツールなのだな。